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1609年
(天正14年) 平戸に和蘭商館が開設され、コーヒーが伝えられたと言われています

コーヒーの長崎出島物語(その1)
西欧と日本の文化の「扉」はコーヒーだった!?
コーヒーを初めて口にした日本人はどんな顔をして飲んだのだろう

 『さあ一杯、どうぞ』
 給仕が運んできたコーヒーを自慢たっぷりに差し出すオランダ商人。
 その表情には、この世で一番おいしい飲みものをすすめるという誇らしさがありました。
 コーヒーがヨーロッパに伝わってから約200年を経て、コーヒーはすっかり西欧の人々の生活に定着し、なくてはならない飲みものになっていました。
 一方その間、鎖国政策をとっていた日本は世界のコーヒー文化から取り残されていきました。
 しかし、ここ長崎・出島だけは別。西欧の文化に触れることのできる唯一の場所でした。
 そして先ほどのオランダ人の屋敷では、ひとりの日本人が慣れないテーブルとイスという居心地の悪さに加え、目の前に差し出された未知の飲みものを前に緊張しています。
 “コーヒーを楽しむゆとり”まではなかったかもしれません。
 しかし、そのコーヒーの味は西欧への憧れと共に、しっかりと胸にきざみこまれたはずです。
 ところで、初めてコーヒーを飲む名誉を与えられた日本人は誰だったのでしょう? お役人か、通訳か?それとも出入りの商人か…?
 たとえそれが誰であったにしても、コーヒーを飲み終えたその人物が発した言葉は、心からのお礼の言葉、『さんきゅー、べりーまっち』であったと思います。


コーヒーの長崎出島物語り(その2)
長崎から始まった日本のコーヒーの歴史

 鎖国の中での長崎は、世界に唯一窓を開いた地でした。
 
 さて、長崎出島といえば、忘れることのできない人物がいます。シーボルトです。
1823(文政6)年に長崎出島の商館医師として赴任した彼は、仕事のかたわら日本の自然と文化を研究し、『日本動物誌』や『日本植物誌』を著しました。そんな日本の生活の中で、シーボルトは日本がオランダと200年も交易があるにもかかわらず、コーヒーが広まっていないことに疑問を抱いていました。
そこでコーヒーの普及計画を、当時のアジアの交易の中心であった 「東インド会社」に提言しています。医者であるシーボルトの考えは次のようなものでした。
 「コーヒーは生命をのばす良薬で、特に日本のような国こそ、保健薬としてこれを用うべし、と勧めることである」と。
 このように日本ではコーヒーが伝わった当初から、多くの蘭学者や医師たちがコーヒーの文献研究とその普及に関わっていました。

1609年
(天正14年)
平戸に和蘭商館が開設され、コーヒーが伝えられたと言われています。
1724年
(享保9年)
オランダ人による、西洋のテーブル・マナーの講義をまとめた「和蘭問答」の中に、コーヒーと思われる記述が出てきました。
1804年
(文化1年)
日本人として、初めてコーヒーを飲んだ体験を書いた太田蜀山人は、コーヒーは焦げ臭くて味わうにたえないと書いています。
1826年
(文政9年)
医師シーボルトは、コーヒーは長寿をもたらす良薬であると「薬品応手録」でコーヒーをすすめました。
1858年
(安政5年)
自由貿易が開始され、コーヒーも正式に輸入されるようになりました。
 
1869年
(明治2年)
横浜で発行されていた邦字新聞に、初めてコーヒーの広告が掲載されました。
1878年
(明治11年)
小笠原で初めてコーヒーの栽培を試み、4年後に収穫がありましたが、一般の栽培は行われませんでした。
1888年
(明治21年)
東京下谷で初めて豪華なヨーロッパ風カフェ「可否茶館」が開店しましたが、4年後には閉鎖してしまいました。
1910年
(明治43年)
横浜に小売と喫茶を兼ねた、不二家洋菓子店が開業しました。
1911年
(明治44年)
東京銀座に洋画家松山省三の「カフェ・プランタン」、水野龍の「カフェ・パウリスタ」が開店しました。
1912年
(大正1年)
「カフェ・パウリスタ」が各地に喫茶店を開店しました。
1930年
(昭和5年)
東京のカフェは7000軒にものぼり、女給と呼ばれる人たちが1万7千人働いていました。
1934年
(昭和9年)
コロンビアコーヒーの輸入が始まり、このころカフェは全国で約3万軒に達しました
1935年
(昭和10年)
サロン風の喫茶店が大流行し、繁華街から学生街までブームが広がりました。
1936年
(昭和11年)
日本に初めてブルーマウンテンコーヒーがロンドン経由で輸入されました。
1938年
(昭和13年)
戦時体制の強化により輸入規制が始まり、コーヒーの輸入量は前年の半分に減少しました。
1939年
(昭和14年)
コーヒーに10%の税金がかかるようになり、コーヒーの代用品が出回るようになりました。
1942年
(昭和17年)
コーヒーの輸入が完全に途絶えました。戦時中は統制会社日本コーヒーによりレギュラーコーヒー、インスタントコーヒーが製造され、軍に納入されました。
1945年
(昭和20年)
コーヒー豆不足が5年後の輸入再開まで続き、コーヒー豆は貴重品でした。
1949年
(昭和24年)
連合軍放出コーヒーの払下げが行われ、各地の組合を通じて家庭配給されました。
 
1950年
(昭和25年)
8年ぶりにコーヒーの輸入が再開され、品不足のために50%に上がっていた税金は、30%に引き下げられました。
1953年
(昭和28年)
戦後初のブルーマウンテン輸入。ブラジルで大規模な霜害が起き、国際コーヒー市況が高騰しました。
1956年
(昭和31年)
インスタントコーヒーが初めて輸入許可されました。国産のエスプレッソマシンが初登場したのも、この年です。
1960年
(昭和35年)
コーヒー生豆の輸入が全面自由化になりました。国内メーカーがインスタントコーヒーの製造を開始しました。
1961年
(昭和36年)
インスタントコーヒーの輸入が全面自由化になりました。日本インスタントコーヒー協会が発足、インスタントコーヒーブームの幕開けです。
1963年
(昭和38年)
日本珈琲輸入協会、日本グリーン珈琲協会が設立され、全日本珈琲協会が新体制で再発足しました。
1965年
(昭和40年)
全日本珈琲協会が解散し、全日本コーヒー振興協会が発足。翌66年には、全日本コーヒー協会と改称しています。
1967年
(昭和42年)
1フリーズドライ製法による製品が登場し、インスタントコーヒーは新時代に入りました。
1969年
(昭和44年)

 
日本コーヒー振興委員会(JCPC)「飲むんだったらコーヒー」のキャッチフレーズで全国的なキャンペーンを展開。インスタントコーヒーには、スーパーなどのオリジナルブランド品がでたりと、出荷1万トンを超えました。
1971年
(昭和46年)
インスタントコーヒーの年間消費量が1万2000トンを突破。家庭用レギュラーコーヒーも徐々に伸びをみせ始めます。
1974年
(昭和49年)
コーヒーの原産国表示が開始されました。
1980年
(昭和55年)
全日本コーヒー協会が任意団体から社団法人化され、農林水産大臣の認可を受けました。
1983年
(昭和58年)
10月1日をコーヒーの日として新設、キャンペーンが実施されました。
1990年
(平成2年)
日本家庭用レギュラー・コーヒー工業会が設立されました。

 


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